平成10年の夏の発掘調査で中国・魏代の「青龍三年(235年)」銘が入った青銅鏡や、三角縁神獣鏡など銅鏡5面を含む貴重な副葬品が出土した安満宮山古墳。発掘当時の姿に整備し、鏡や刀など副葬品のレプリカを出土したままの状態に復元し、一般公開している。また、安満山の中腹、標高125mに位置する古墳からは、眼下に史跡安満遺跡を眺め、晴れた日には生駒山から六甲山、淀川や大阪平野を一望する。
藤井寺市から羽曳野市にかけての一帯は、日本屈指の大型古墳の集中エリア。それが古市古墳群で、前方後円墳31基、円墳30基、方墳48基、墳形不明14基の計123基の古墳がある。墳丘長200mを超える巨大な前方後円墳は6基あるが、そのうち最大のものが羽曳野市にある応神天皇陵。墳丘長約415m、後円部径256m、前方部幅330m、最大幅50m以上の濠を持つ5世紀初頭の古墳は、面積では仁徳天皇陵に次いで全国第2位だが、体積では日本最大。羽曳野市では「世界一の前方後円墳」として紹介している。陵墓の表面は葺石で覆われ、円筒埴輪が多数並べられている。縦穴式石室や長持形石官が収められる内部は非公開。
29haの広大な敷地の「近つ飛鳥風土記の丘」は、6世紀後半を中心とした円墳・方墳102基がある「一須賀古墳群」(国の史跡)を保存する歴史公園。直径15m前後の円墳のうち40基が整備され、自然のままの姿の横穴式石室を見学することができる。石室内に家形石棺を復原して設置してあるので、どのように埋葬されたのかも理解できる。園内には散策路が用意され、展望台も2ヶ所に設置されている。園内にある「近つ飛鳥博物館」には古墳・飛鳥時代を紹介する資料や模型、実物の土器に触れることができる相談カウンターなどもあり、周辺の散策マップも用意しているからまずは「近つ飛鳥博物館」にお立ち寄りを。近つ飛鳥博物館背後の丘陵に梅140本が植栽され、2月下旬〜3月上旬が見頃となる。
大阪府堺市堺区大仙町にある日本最大の前方後円墳。百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の古墳で、北に位置する田出井山古墳、ミサンザイ古墳とともに、「百舌鳥耳原三陵(もずのはらさんりょう)」と呼ばれる。5世紀中頃に作られた墳墓と推測されているが、詳しいことは分っていない。宮内庁によって仁徳天皇の陵墓として管理されており、陵号は百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)。全長約486m、総面積約46万平方メートルの規模を持つ三段に構成された墳丘で、内部は立ち入り禁止。その全貌を見渡すには堺市役所展望ロビーに上るのがいちばん。主墳の回りには10基以上もの陪塚が取り巻き、周囲には三重の濠が巡らされていて、その規模の大きさを表している。百舌鳥古墳群からは多数の埴輪が出土しているが、一帯は国内で最も埴輪生産が盛んでだった場所。唯一確認されている窯跡は、北区百舌鳥梅町1丁の「百舌鳥梅町窯」(もずうめまちよう)で、5世紀中頃の築造と考えられることから大山古墳の埴輪がここで焼かれた可能性もある。出土する百舌鳥古墳群の埴輪は、百舌鳥川沿いにあった多数の埴輪窯で焼成されたと推測されている。
百済が滅亡した時の最期の国王・義慈王(ぎじおう)から数えて4代目の百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく・698年〜766年)が8世紀の中頃に氏寺として建てた寺跡で、国の特別史跡。昭和43年には全国初の史跡公園として整備され、跡地には基壇と礎石が復元されている。7世紀後半の瓦などが発掘され、さらに百済寺跡の下層から大型建物跡が発見されている。つまり百済が滅亡後、百済王の一族はこの地に逃れ、大邸宅を築いたと推定できる。その大邸宅の跡地に大寺院を開いたのだ。百済寺を建てたとされる百済王敬福は、東大寺造営時に砂金を献上した功績で河内守に任ぜられている。金堂、講堂などを中心に東塔と西塔を配する伽藍様式は新羅の感恩寺と類似し、故郷の寺の伽藍配置を採用したと想像できる。

