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創業1846(弘化3)年という老舗の昆布店。北海道・尾札部(おさつべ)産の最高級マコンブを使用した山椒(さんしょう)昆布は、山椒にもこだわり、京都・鞍馬産のものを使用。また小さく四角に切ったひと口サイズの塩吹き昆布「上方」「最上」も食べやすく、しかも後引く味わいだ。上方は100g1000円、特選かつを昆布、ちりめん山椒昆布、特選松茸昆布、松茸佃煮、八重霧(塩吹き昆布)の5種昆布詰め合わせは5000円。

年間総販売個数は、約3300万個、一日平均9万個以上売れるという、551蓬莱の豚まん。豚肉で作られたあんを、分厚い皮で包んだボリュームたっぷりの豚まんは、できたてをほおばるのがいちばん。豚まん2個入り280円。小ぶりでやや甘口の叉焼きまんは焼き豚、筍、しいたけ入りで2個360円。焼売(シウマイ)や焼餃子などもある。駅店舗はなんば、梅田など京阪地区に多数。JR新大阪駅構内在来線改札内「おみやげ街道」にも店舗あり。

地下鉄長堀鶴見緑地線の開通に伴い誕生した長堀通の四つ橋筋から堺筋まで、全長730mという長大な地下街。天井には自然光を取り入れる明かり採りが設けられているほか、かつて長堀通が川だったことにちなみ、ガラス天井に水が流れる「滝の広場」も造られている。地下街はファッションタウン、グルメタウン、カジュアルタウンなどに分かれ約100店舗が入居している。古代の「水時計(漏刻)」で30分ごとに時を知らせる施設、その日の月の満ち欠けをモニターに映し出す天球儀モニターなど見どころも豊富。

昭和45年の開業以来「虹のまち」の呼び名で親しまれてきたが、平成6年になんばウォークとしてリニューアル。地下鉄なんば駅から地下鉄日本橋駅まで東西に800m続き、西から一番街、二番街、三番街となっている。ファッションの店、飲食店など約280店が並び、大阪を代表する老舗店も多い。江戸時代には大阪湾にもいたというセミクジラのオブジェが置かれたクジラパークなど待ち合わせに便利な広場も5ヶ所整備されている。

道頓堀の南、南海難波駅の北側一帯を千日前と呼ぶ。法善寺がり、千日念仏を唱える寺ということで千日寺と通称したがその門前ということが千日前の名の由来。「法善寺横丁」、「千日前道具屋筋商店街」、「千日前商店街」などが連なる繁華街。明治45年1月16日に起こった大火で千日前のあるミナミ一帯は焼失するが、大正3年、千日前交差点に「楽天地」が誕生。地上部分は芝居、演劇、映画の興業、地下はメリーゴーランド、ローラースケート場、水族館を有するハイカラな施設だった。以後、芸能の街としても発展、吉本新喜劇の本拠地「なんばグランド花月」もこの地にある。上方演芸の歴史を紹介する「上方演芸資料館・ワッハ上方」、方浮世絵を常設展示している世界で唯一の美術館「上方浮世絵館」が千日前の歴史を今に伝えている。

地下鉄御堂筋線心斎橋駅の西側、長堀通りから道頓堀までの範囲に広がる一帯をアメリカ村と通称する。もともとは炭屋町といい、四国産の炭が、大阪湾から道頓堀川を遡り、この地に集積した。昭和26年、石津謙介は、大阪市南区北炭屋町14番地に有限会社ヴァンヂャケット設立。米東部の伝統校ハーバード、エール、プリンストン、コロンビア、ダートマス、コーネル、ペンシルべニア、ブラウンの8大学を指すアイビーリーグ。アメリカの名門大学の風俗を採り入れた「VAN」ブランドのアイビールックは、大阪から全国へと発信された。「VAN」に刺激され、さらに昭和45年の大阪万博で刺激を受けた若者たち、そして本場アメリカ西海岸を旅した若者たちがこの地で古着、雑貨、中古レコードを売り始めたことにより大阪若者文化の発信基地として進化する。アメリカ村の中央にある三角公園は、若手漫才コンビの練習場として有名。ここで人気を博することが躍進に繋がる登竜門ともいわれるほど。三角公園前にある網かけマヨネーズ発祥の店「甲賀流たこ焼」300円をほおばりながら鑑賞するのが定番のスタイル。

戎橋から長堀通まで続く大阪を代表する商店街が心斎橋筋商店街。「東の銀座、西の心斎橋」いわれ、昭和の初めには「銀ブラ」に対し「心ブラ」という言葉も誕生した。心斎橋という地名は、1622(元和8)年、長堀川の開削者・岡田心斎が川の往来のために架けた橋の名に由来。1726(享保11)年には呉服店「松屋」が開業、これが現在の大丸心斎橋店のルーツ。大塩平八郎の乱では、「大丸は義商なり」と焼き討ちを逃れている。大正2年には木造洋館となり化粧品、雑貨の陳列販売、燕尾服の案内ボーイも始まった。大正3年に大阪で初のショーウインドーを設置し、「心ブラ」という言葉の誕生にも大丸の果たした役割は大きい。18世紀にはすでに商店街が誕生し、道頓堀の芝居見物の行き帰りに買い物というスタイルが定着した。昭和8年に心斎橋筋1丁目にオープンしたフルーツパーラー「蝶屋」は日本で最初のタレントショップといわれる店。かの長谷川一夫は果物が大好きで、心斎橋筋にフルーツパーラーを開店したのだ。現在も心斎橋筋には約180の店舗が集まる大阪の文化の発信地となっている。

黒門市場は、起源は文政年間(1818年〜1829年)とも伝わり、明治35年に公認市場の圓明寺市場として認可された歴史ある市場。かつてあった圓明寺の山門が黒い門であったことに由来し、明治45年の難波の大火災で、圓明寺ともども黒門は消失したが、市場は再興して黒門市場の名は残り、今も親しまれている。また、昭和20年の戦禍でも、あたりは焦土と化したが、戦後まもなく復興。大阪市の中心部に位置するという地の利や、豊富な品揃えと安くて良い物が購入できるとあって、プロの料理人も買出しに訪れる。現在、店舗数約150軒を数える活気あふれる市場だ。ふぐ、まぐろ、海老、川魚など鮮魚の店が全体の約3割を占め、青果、果物、精肉、加工食品、菓子などの店が揃う。また、新鮮な食材を使った飲食店も営業する。

東の秋葉原に対し、西の日本橋。日本橋3丁目から5丁目にかけて200店舗の電器専門店が建ち並ぶ西日本最大の電気街。オーディオ、家電、照明器具、パソコンと何でも揃う大ショッピングストリートとなっている。道頓堀川の開削時に架橋された日本橋が地名の由来で、藩政時代には宿場町だった地。その後、学生が集まる古書店街になり、太平洋戦争後にラジオのパーツを売る店などが集まったのが電気街のルーツ。このラジオショップに由来する店でも秋葉原と類似する。

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