大阪のメインストリートである御堂筋は第7代大阪市長・関一(せきはじめ)の「都市大改造計画」の提唱で大正15年に拡幅工事が始まり、3375万円の巨費を投じて昭和12年に完成した。明治22年、鉄道の開通によって、大阪駅を玄関とした南北軸の道路の建設が急務となったのだ。拡幅以前の御堂筋は、幅6m、北の淡路町から南の長堀まで1.3kmという城下町の名残を残す狭く短い道だった。幅45m、南北4050mに拡張する計画はまさに「船場に飛行場を造る」ように大胆なものだったという。平成19年に70周年を迎える御堂筋は、梅田の阪急前を起点に、難波の高島屋を結ぶ、全長約4kmにわたる大阪を代表する道路。街灯には【西259】(御堂筋の西側、阪急前から2590m)という距離標が設置されている。
木津川と東横堀川を結び大阪の中心部を流れる2.7kmの一級河川。1612年、安井道頓(成安道頓)が私財を投じて開削したのでその名がある。江戸時代に芝居興行が勘四郎町(中央区南船場)から道頓堀に移され元禄歌舞伎、人形浄瑠璃などの芝居小屋が集まった。浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座の5つの芝居小屋を「道頓堀五座」と呼んだ。大阪松竹座、新歌舞伎座、国立文楽劇場、トリイホールなどは芝居街の伝統を今に受け継いでいる。現在は、食いだおれ大阪を象徴する繁華街として全国的に知られている。道頓堀の南に併走する商店街が道頓堀商店街。キダ・タローの「とれとれ、ぴちぴち、かに料理」のCMで知られる「かに道楽本店」(昭和37年開店)の巨大なカニの足が動く看板、「大阪名物くいだおれ」(昭和24年開店)の「くいだおれ人形」に代表されるような派手な看板やネオンの数々はミナミならではの風景。
永禄年間(1558年〜1569年)に興正寺門跡14世・証秀上人(しょうしゅうしょうにん)が興正寺別院の建立と信徒が暮らす町の町割をしたのが始まり。6筋7町、東西南北350mの範囲に碁盤の目のよう町割を行ない、周囲には土塁を巡らし、さらにその外側に堀を造って城塞都市のようになっていた。良質の米、綿、菜種などが集積する商業の町としても繁栄し、1668(寛文8)年には51種、149店舗が軒を連ねていた。現在も残る歴史的な景観は、平成9年に大阪府で初の国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され町並みの保存が進んでいる。指定地域11.2
haにある町家500棟のうち180棟が伝統的な建造物で、興正寺のある城ノ門筋は「日本の道100選」に選ばれている。
街道時代には京都と大坂の中間に位置する交通の要衝で、淀川舟運の湊としても繁栄した宿場。もともとは京街道(大坂街道)の宿場だが、藩政時代には伏見・淀・枚方・守口の4宿を含めた「東海道五十七次」で大坂・京橋までを結んでいたため東海道の宿場にも含まれる。枚方宿で有名なのがくらわんか茶碗。淀川を行き交う旅客専用船・三十石船に「餅食らわんか酒食らわんか絵草紙買いさらせ」と荒々しい口調で食べ物を売る「くらわんか舟」は道中の名物となっていた。その時に使用したのがくらわんか茶碗。淀川舟運で栄えた船宿「鍵屋」は、「枚方市立枚方宿鍵屋資料館」として再生されている。実物大の「くらわんか舟」や、旧枚方宿の発掘調査で出土した「くらわんか茶碗」を展示しているのでぜひのぞいてみたい。

