妻沼聖天(めぬましょうてん)で知られる古刹で静岡県小山町の聖天堂、三重県桑名市の桑名聖天(大福田寺)と並んで「日本三大聖天」に数えられている(東京・浅草の待乳山聖天、奈良の生駒聖天とする説もある)。1179(治承3)年、妻沼を中心とした武蔵国長井庄の庄司、斉藤実盛(さねもり)が、館に近い場所に大聖歓喜天(聖天)をまつり、聖天宮を開いたのが始まり。1197(建久8)年には別当坊歓喜院長楽寺も建立し、歓喜院に十一面観音、聖天宮に御正躰錫杖頭を寄進して、これが本尊となる。 慶長年間には徳川家康により保護され、繁栄、現在は開運、魔よけ、縁結びの神様として親しまれている。見物は貴惣門、本殿、仁王門など数多いが、残念ながら国重要文化財に指定された本殿は平成20年まで改装中。
子ノ権現は、正式名称を大鱗山雲洞院天龍寺といい、832(天長9)年、子年、子月、子の日、子の刻に誕生した聖人が祀られていることから、子ノ権現の名で親しまれている。足腰の神様として知られ、境内には鉄製の大わらじや夫婦下駄が奉納され、お守りなど授与品もわらじの形だ。また、おみくじは引いたその場で見るのではなく、本堂で読経を受けた後にお坊さんから受け取る。9月〜11月には3500円で精進料理も味わえる。
正式名称は医王山薬寿院八王寺というが、境内に見事な竹林があり、竹寺の名で親しまれている。明治維新の神仏分離令を逃れ、本尊は牛頭(ごず)天王と拝し、本地仏薬師如来を祀っている。開祖は行基といわれる古刹で、俳句寺としても知られ、多くの文人も訪れている。また、予約で名物の精進料理をいただくこともでき、竹の器で四季折々の山菜などが味わえる。
関東三大不動のひとつで、創建は654(白雉5)年という古刹。往時は36坊を持つ修験道場として隆盛を極めていた。標高600mという奥武蔵の山中に建ち、ハイキング途中に立ち寄る人も多い。現在の本堂は1849(嘉永2)年の再建で豪壮な唐破風造り。平安中期の作と伝えられる軍荼利(ぐんだり)明王立像が祀られている。像は県内最古の木彫仏のひとつで、国の重要文化財に指定されている。予約で精進料理も味わえる。
830(天長7)年、慈覚大師により創建された古刹。1599(慶長4)年、27世の慈眼大師天海僧正が、徳川家康の信頼を得て、4万8000坪、500石を拝領し寺勢を極めた。1638(寛永15)年、川越大火により山門を除くすべてを焼失したが、徳川3代将軍家光により江戸城の別殿を移築し客殿、書院とした再建。このため「徳川家光誕生の間」や「春日局化粧の間」などが残されている。境内には535体の五百羅漢も安置されている。
狭山不動尊の開山は、昭和50年と新しいが古い建造物があることで有名な天台宗の寺。山門は徳川2代将軍秀忠ゆかりの台徳院霊廟の門だった勅額門で、国の重要文化財に指定されている。また、本堂は京都東本願寺から移築した七間堂、さらに台徳院の御成門、長州藩主毛利家の江戸屋敷に建てられていた不動寺総門、大阪府高槻市の畑山神社から移築された多宝塔(県の有形文化財)などがあり、見応え充分だ。授与品では縁起のいい「福あつめ」などが人気。
四萬部寺は秩父34観音霊場の1番札所。四萬部寺は性空上人の弟子幻通が、4万部の仏典を読誦し、経塚を築いたことから誦経山四萬部寺と名付けられた。本堂は1696(元禄10)年の建造で、唐破風の向拝を配した入母屋造り。秩父の名工、藤田徳左衛門の作。本尊は聖観世音菩薩を祀っている。本堂横の売店では朱印を押してもらうための納経帳(1000円)や、菅笠、笈摺(おいずる)、金剛杖のお遍路用の装束も販売。
秩父札所の中で石仏の寺として名高いのが札所4番・金昌寺。山門の大わらじが印象的だが境内には1300体の石仏が配され、奥の院から山門まで一巡して拝観できる。県指定の文化財でもある石仏群は、1789(寛政1)年、時の住職が寺門の興隆と飢饉や天災による犠牲者を供養するため、「石造千躰地蔵尊建立」を発願したのが始まり。境内にある「四番食堂」の手打ちうどん、みそおでんも隠れた名物で、地元の人も食べに来る店。

