林[拝師、拝志、拝司、拜司、拝四、早、早司、早志、早矢、早矢仕、早矢止、速司、壙、晨、麓]
林さんのルーツを各地の“ハヤシ”に訪ねて
林忠崇(ただたか)は信義の人であった。
時は幕末、風雲急を告げる慶応三年(1867)、当時江戸詰めであった上総請西(じょうざい)藩主林忠崇のもとにも「大政奉還」の一報が慌ただしくもたらされた。このとき二十一歳の忠崇は、徳川三百年の恩顧に報いんと徹底抗戦を決意。徳川親藩が次々と官軍側につく中、なんと忠崇は自ら藩主の座を捨てて脱藩し、総督として官軍に立ち向かった。富津、佐貫、勝山、館山と進軍、海路伊豆を目指し、箱根、奥州と転戦したが、とき利にあらず、ついに明治元年(1868)仙台にて降伏。全国でただひとつ請西藩は取り潰しとなる。 初期に陣屋のあった貝渕陣屋跡(木更津市貝渕)と、二代林忠旭(ただあきら)の時に場所を移した真武根(まぶね)陣屋跡(木更津市請西)が残されている。
いずれにしろ林忠崇を除いて、戊辰戦争で大名が先頭に立って奮戦したことなど、他に例をみない。昭和十六年(1941)、忠崇死去。享年94歳。忠崇の死が、わが国最後の大名の死でもあった。












