地図を旅する、今回は地図を使って『魏志倭人伝』の旅を試みます。
『魏志倭人伝』(『三国志』魏書東夷伝倭人条)は、朝鮮半島から対馬を経て「邪馬台国」への道筋を解説しています。最初に登場するのが對馬國(現在の対馬)。さらに對馬國から『南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國』(南に瀚海と称する海を渡って千余里で一大國に至る)と記された一大國は、一支國(いきこく)、つまりは現在の壱岐にあたると推測されています。というわけでまずは壱岐に上陸しましょう。
2010年2月27日(土)15:00、圏央道海老名JCT〜海老名ICが開通します。2010年3月31日(水)までは開通記念割引も行なわれます。
山下[山之下・山志田・山野下・月夜里]
安房や白川郷に山下さんのルーツの逸話が残る
「ねえ、“月夜里”と書いて“やました”と読むの? 素敵な苗字ね!」と、居酒屋の女将がカウンター越しの私に言った。
「昔の落語家の柳家金語楼は、本名“山下敬太郎”というんだよ」と、もう飲みすぎていた私は答えにもならないことを女将に向かって言う。すると、「どうして“月夜里”が“やました”になるの?」と、女将はもう一度私に訊いた。くどいなと私は思いながら、「“裸の大将”の画家・山下清は、本名“大橋清治”っていうんだよ。──映画評論の水野和夫は映画で山下大将を演じた後、本名を山下大将と一字違いの“山下奉大(ともひろ)”に改めたんだぜ」と、私は相変わらず関係のない話をぐずぐずと続けるのであった。女将は、これだから酔っ払いはいやなのよ、といった顔つきをしながら、私にビールを注いでいる。
国内で日本初の職業野球が行なわれた球場は、実は名古屋市にあります(海外を含むと京城で行なわれたのが最初)。『新愛知新聞』は「全国最初の職業団野球」と報じていますから、当時もこの試合がプロ野球の最初という認識があったというわけです。昭和2年10月、愛知電気鉄道(現在の名古屋鉄道=名鉄、この年神宮前〜吉田(現豊橋)間が開通)が沿線開発として建設した球場が鳴海(なるみ)球場です(当初は愛電球場)。当時はまだ名古屋市内ではなく愛知郡鳴海町でした。完成間もない昭和6年にはなんと当時の大リーグのスーパースター、ルー・ゲーリックを擁する大リーグ選抜が全慶應と対戦。さらに昭和9年にはベーブ・ルースらが加わる全米選抜チームが全日本軍と対戦しています。
ある日私は、長岡市の和服屋とも古着屋とも思える昔の絵葉書を見ていた。東京でもかつては、和服というより使いまわしの着物類を売るこんな店がそこら中にあったものだった。──絵葉書をつくづくと見る。
どうやらこの店では、男帯・女帯、羽織・はかま、鳶・コート、夜具・布団などを販売しているようだが、その中で特に目立つのは「蚊帳正札廉売」の文字であった。そういえば、蚊帳をしないで寝るようになってどのくらいたつのであろうか。
2010年3月20日(土)・21日(日)・22日(月)、糸魚川駅〜南小谷駅で臨時便「キハ52ありがとう号」特別運転が行なわれる。「キハ52」の3両連結運転で、往路=糸魚川駅 9:50頃発 (南小谷駅10:50頃着)、復路=南小谷駅12:40頃発 (糸魚川駅13:40頃着)。全席指定で、指定券は1ヶ月前の10:00から、全国の主な駅の「みどりの窓口」で発売。
佐世保-上五島航路新造高速船「シークイーン」2010年2月24日就航決定!
九州商船が運航する佐世保-上五島航路にこれまでの「えれがんと1号」に代わり新造高速船「シークイーン」が2010年2月24日に就航します。
佐世保〜有川・宇久平・小値賀は往復割引で9160円(これまでは8980円)。
乗船場所は鯨瀬フェリーターミナル(JR佐世保駅から徒歩5分)。


