福井県の冬の味覚といえば「越前がに」。今年も11月6日に解禁となる。名古屋や京阪神の人なら「待ちに待った」というファンも多いだろう。「越前がに」とは、福井県の漁港に水揚げされる和名ズワイガニのこと。山陰の松葉がに、石川県の加能がにと同じブランドがに。福井県地方の魚市場ではズワイといえば雄がにを指す。雄がにでも脱皮半年以内の甲羅が柔らかく、実入りの悪いのは水がにと呼び、商品価値は下がる。ズワイガニの雌は、セイコガニと呼んで珍重する。背に子(卵巣)を持っているのがその名の由来だ。
福井県の冬の味覚といえば「越前がに」。今年も11月6日に解禁となる。名古屋や京阪神の人なら「待ちに待った」というファンも多いだろう。「越前がに」とは、福井県の漁港に水揚げされる和名ズワイガニのこと。山陰の松葉がに、石川県の加能がにと同じブランドがに。福井県地方の魚市場ではズワイといえば雄がにを指す。雄がにでも脱皮半年以内の甲羅が柔らかく、実入りの悪いのは水がにと呼び、商品価値は下がる。ズワイガニの雌は、セイコガニと呼んで珍重する。背に子(卵巣)を持っているのがその名の由来だ。
JR福井駅東口と一乗谷朝倉氏遺跡を20分で結ぶ直行特急バス「朝倉永平寺ライナーバス」が2010年10月9日(土)に運行を開始。10月9日(土)〜1月10日(月・祝)の土・日曜、祝日 (1月1日・2日は除く) と1月13日(木)〜1月25日(火)の毎日運転。料金は、JR福井駅東口⇔朝倉氏遺跡(往復)700円、(片道)650円、朝倉氏遺跡⇒永平寺(片道)430円。永平寺特急バス(JR福井駅東口⇔永平寺)も使えるお得な1日フリー乗車券1500円も用意されている。
■十日戎(十日えびす=初えびす)
おもに西日本のえびす神を祀る神社で、1月10日に齋行されるのが『十日戎』。前日の1月9日を宵えびす、1月10日を本えびす、11日を残りえびすと称しています。笹に縁起物を吊したものを販売する露店が出ます。十日戎を象徴するのが、神社から授与される小宝で、「吉兆」(きっきょう)と呼ばれています。西宮神社では『十日えびす』の「本えびす」の朝、4:00〜『開門神事福男選び』(開門神事)が行なわれます。これは毎年テレビのニュースに必ず登場しますね。
→大阪市の今宮戎神社で『十日戎』
→東大阪市の布施戎神社で『十日戎』
→長浜市の豊国神社で『十日戎』
→福岡市の十日恵比須神社で『正月大祭』
→京都市のゑびす神社で『初ゑびす』(十日ゑびす大祭)
→佐賀市の佐賀恵比須神社で『十日恵比須』
→丹波市の八柱神社で『えびす祭り』
→茨木神社で『十日戎』
→京都市の八坂神社で『祇園のえべっさん』
→綾部市の熊野新宮神社で『綾部初えびす大祭』
→大阪市の堀川戎神社で『十日戎』
→大洲神社で『えびすまつり』(十日えびす)
→徳島市の事代主神社で『えびす祭』
→西宮市の西宮神社で『十日えびす大祭』
→堺市の菅原神社で『戎祭』
→伊万里市で『招福伊万里えびす祭り』
→佐川町の恵美須神社で『えびす祭り』(佐川十日えびす)
→淡路市の事代主神社で『十日戎』
→淡路市の石屋神社で『十日戎』
→東大阪市の石切劔箭神社で『十日戎祭』
→宮津市の智恩寺で『文殊堂十日えびす』
→伊勢市のおかげ横丁で『十日戎練り歩き』
→中津川市の西宮神社で『例祭・十日えびす』
■初金比羅
毎月10日は金比羅様(こんぴら)の縁日。1月10日は初金比羅となります。
→金刀比羅宮で『初十日祭』(初こんぴら)
→八王子市の子安神社で『初金刀比羅』
→安井金比羅宮で『初金比羅祭』
→越前町の金刀比羅山宮で『初金刀比羅祭』
→虎ノ門金刀比羅宮で『初こんぴら祭』
■初庚申
「庚申」とは「かのえ・さる」で60日に1回巡ってきます。2010年は1月10日が初庚申、3月11日が二庚申、5月10日が三庚申、7月9日が四庚申、9月7日が五庚申で、11月6日が納庚申となります。
→南丹市の京都帝釋天で『初庚申』
→浜松市の庚申寺で『初庚申大祭』
→大阪市の四天王寺で『初庚申』
斎藤[齋藤・齊藤・斉藤・斎頭・斉頭・斉塔・西藤・西東・西当・西塔・妻藤・才藤・在藤・歳桃・済藤・犀藤・細藤・際藤・佐囲東]
斎藤実盛と斎藤道三、“善と悪”どちらも斎藤さんの祖先です
「このあいだ、墓石を立てましてね」と知人の斎藤さんが言った。「ところが、出来た墓石が“斉藤”になっていたんですよ」と、斎藤さんは居酒屋の伝票の裏に“斉”と言う字を書いて見せた。きっと、これは大ごとになる。斎と斉ではまるで意味が違うから、墓石は立て直しになるに違いないのだが、ここでは常用漢字の“斎藤”さんに、多岐にわたる“サイトウ”を代表してもらって、そのルーツを探す旅に出掛けてみよう。
山本[山下・山元・山元都・山崎・山許・山茂登]
軍師山本勘助をルーツとする山本さんも多いだろう
永禄4年(1561)川中島で戦死した軍師山本勘助は行年69歳、身体に86を数える創傷があったという。
勘助の墓は愛知県豊川市賀茂町の本願寺にあるというので出かけてみると、「天徳院武山道鬼大居士」と戒名が彫られた勘助の墓と両親の墓が並んでいた。
当地で生まれたという勘助の話を聞き終わり、さて帰ろうかと思うと、「長谷寺にも行きますか」と尋ねられた。すぐ近くにある牛久保町の長谷寺には、勘助の遺髪塚(墓)があり、勘助の守本尊の摩利支天尊像が残されているのだとか。
実はその後三日ほどたって、静岡県富士市にある医王寺に行くことになってしまった理由がある。あちらの医王寺にも山本勘助の墓があるというのだ。
ところがまたまた、勘助の墓は長野県長野市松代町の千曲川沿いにあるとか、山梨県韮崎市の宗泉院にあるとか、出かける所がやたら増えてきてしまった。
おまけに、勘助の誕生地も近江国山本やら讃岐説などもあり、とにかく山本勘助情報は諸説入り乱れているのである。