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44太田160.jpg太田[大田・太多・大多・多田・多駄・邑陀・多]
太田さんのルーツの途中には江戸城を築いた太田道灌もいる

 鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)に、鎌倉に残る唯一の尼寺として知られている英勝寺がある。家康の側室で、春日の局以上に権勢を誇った英勝院(お勝の方)を開基とする英勝寺は、珍しい袴腰付の鐘楼、華麗な色彩を持つ祠堂(しどう)、精巧な細工が見られる唐門など、江戸初期の名建築が素晴らしい。寛永11年(1634)英勝院は自身の先祖の地であるこの扇谷を家光から貰い受けて英勝寺を開いたのだが、英勝院の先祖である太田道灌は江戸に築城するまでここに居住し、扇谷こそ太田家栄華の始まりの地であったのだ。

201203270101.jpg福田[副田・福多・福堂・福当・複太・服田・冨久田・富久田]
福田さんといえば群馬、そのルーツは武蔵七党の児玉党だ

「福田さんって、名前に“福”がついていてお目出度い名前ね」と、居酒屋の女将が言った。「福田という苗字は、元は開墾の難しい“深田”をよい田圃にしたいという願いから“福”という文字を使った呼び方でね──」と私は、なかなか噛めない裂きイカを無理に齧り、熱燗をぐいと飲む。女将はそんな私を横目で見ながら、「お目出度い名前だからか福田さんという総理大臣が二人も出たのかもね」と言う。「そうそう、福田といえば以前“幸福田”という苗字の人がいたな──」と私はなおも裂きイカを齧る。
ホント?! という顔をしながら女将は、私の手元から裂きイカを取り上げると、入れ歯でも噛めるようにそれを小さく千切り、再び渡してくれた。そんなやり取りをしながらも私は、「総理大臣の福田親子は群馬出身でね、関東には平将門を倒した藤原秀郷の流れを継ぐ福田氏が多いんだよ──」と話し続けるのであった。

shigakusatu.jpg2012年4月24日(火)、山ノ内町(長野県)・草津町(群馬県)で『第18回志賀草津高原ルート・雪の回廊ウォーキング』が行なわれる。志賀草津高原ルートは、志賀高原から草津を結ぶ国道292号の愛称。このルートにある渋峠は標高が2172m、「日本の国道の最高地点」となっている。長野県山ノ内町と群馬県草津町では、この日本一高い国道で、第18回目となる「志賀草津高原ルート・雪の回廊ウォーキング」を開催。
冬期間は通行止めとなる志賀草津高原ルートのオープン前日に自動車の通らない国道を歩くイベントで、国道最高地点からの眺望や雪の壁を楽しめる。限定300名。
A 「志賀高原スタート」コース (陽坂〜白根火山) 定員:先着100名
B 「白根火山スタート」コース (白根火山〜陽坂) 定員:先着150名
C 「リフトで行く 横手山頂らくらく」コース (陽坂〜リフトで横手山頂を経由〜渋峠〜白根火山) 定員:先着50名。

郵送の締め切り=2012年4月2日(月)。インターネットでの締め切り=2012年3月25日(月)。参加費A・Bコース:1人 3000円、Cコース:1人4000円 (ガイド料・昼食料・保険料・温泉入浴料含む)。前日・当日の悪天候により中止、もしくはコース変更の場合がある。

7月末の豪雨により新潟県内、福島県内の国道は今も寸断されている部分があるが、新潟側から尾瀬への日帰りルートでもあった、奥只見シルバーラインは、シルバーライン入口〜銀山平が2011年8月12日(金)に復旧。銀山平〜奥只見ダム間も8月末に開通する見込みとなった。ただし、魚沼尾瀬ルート(遊覧船尾瀬口コース=国道352号会津バス=御池または銀山平=国道352号湖畔道路=御池)は、途中の崩落箇所ならびに橋の流出などから2011年度中の復旧予定はない。つまり新潟側から尾瀬へのアクセスは、残念ながら今年の紅葉には絶望的という状況になっている。奥只見湖遊覧船も発電用の水利用が優先という状況下の水位の低下で、2011年度の営業の休止を決定している。

国道352号とともに国道252号も当分の間通行できない状況となっているので新潟側から尾瀬・檜枝岐へのアクセスは国道49号や磐越自動車道の利用を。

■詳しい道路状況は、
福島県山口土木事務所(TEL0241-72-2234)
新潟県地域整備部維持管理課(TEL025-792-1304)
群馬県沼田土木事務所(TEL0278-24-5511)
へ確認を。

201002200101.jpg ある日私は、長岡市の和服屋とも古着屋とも思える昔の絵葉書を見ていた。東京でもかつては、和服というより使いまわしの着物類を売るこんな店がそこら中にあったものだった。──絵葉書をつくづくと見る。
 どうやらこの店では、男帯・女帯、羽織・はかま、鳶・コート、夜具・布団などを販売しているようだが、その中で特に目立つのは「蚊帳正札廉売」の文字であった。そういえば、蚊帳をしないで寝るようになってどのくらいたつのであろうか。

201001060401.jpg■前橋初市まつり
『前橋初市まつり』は、前橋市の四大祭りのひとつで「だるま市」として有名。縁起物のだるま、植木、食品など600店あまりの露店が出る盛大な祭り。露店の数だけでも全国一の賑わいとなります。
前橋市で『前橋初市まつり』

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■七草の節句(人日)
1月7日は五節句のひとつ人日(じんじつ)にあたります。七種粥を食べる習慣から七草の節句とも呼ばれています。春の七草は、せり、なずな、ごぎょう(ははこぐさ)、はこべら(はこべ)、ほとけのざ(こおにたびらこ)、すずな(かぶ)、すずしろ(だいこん)。この7種の野草の入った七種粥(七草粥)を食べると邪気を払うと信じられています。
桐生市の崇禅寺で『七草粥会』
嘉島町の浮島神社で『七草がゆ祭り』
豊田市の足助八幡宮で『七草粥』
波除稲荷神社で『七草神事』
大田区の六郷神社で『七草こども流鏑馬』

■うそ替え
太宰府天満宮で、木製の鷽(うそ)を交換しあい、1年間についた嘘を、天神様(菅原道真)の誠に替えてもらうという『うそ替え神事』が行なわれます。
太宰府天満宮で『うそ替え』

■三体月観月
熊野古道、中辺路には旧暦11月23日(2010年は1月7日)の深夜に月が三体となって現われる、という伝説があります。三体月とは、熊野三山で修験者が三体の月を見て神変不可思議な法力を得たと村人に伝えたと伝承され、山の端より登る月が三体に分かれて見えるというもの。
田辺市中辺路町で『熊野古道三体月観月会』
田辺市本宮町で『幻の三体月鑑賞会』

■東京消防庁出初式
1659(万治2)年に上野東照宮前で「出初」を行なったのに始まる歴史ある出初式。今では場所を臨海副都心に移して行なわれています。
東京消防庁出初式

■高崎だるま市
『少林山七草大祭だるま市』が正式名のように1月7日の七草大祭とその前日に行なわれるだるま市。天明の飢饉の際に、農民救済のため張り子のだるまを作ったのがルーツという少林山達磨寺伝統のだるまが販売されます。70軒の家で年間150万個のだるまが生産され、全国の8割を占めています。販売されるだるまの片目を開けなくしたのは、養蚕農家の考えから。春まゆの出来がよいと片方の目を入れ秋まゆも豊かだと残りの片目を入れて祝うことから始まったもの。養蚕王国上州の歴史がだるまの目にも息づいています。
『少林山七草大祭だるま市』(高崎だるま市)
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■良寛忌

曹洞宗の僧侶で歌人としても有名な良寛は、宝暦8年10月2日に越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)に生まれ、天保2年1月6日に没しています。良寛の位牌のある新潟市の瑞光寺では、新暦に直すと2月にあたるため、新潟良寛会の良寛忌法要は2月に行なわれています。菩提寺は長岡市の隆泉寺で墓もここにあります。辞世の句は「散る桜 残る桜も 散る桜」。

37/34/43.871,138/46/25.038
良寛の菩提寺、隆泉寺

200912260201.jpg『伊香保の特色は、だれも感ずる如く、その石段あがりの市街にある。実際伊香保の町は、全部石段で出来て居ると言っても好い。その石段の両側には、土産物の寄木細工を売る店や、かういふ町に適当な小綺麗の小間物屋や、舶来煙草を飾った店や、中庭に回廊のある二層三層の温泉旅館が、軒と軒を重ね合せて、ごてごてと不規則に並んで居る。そしてその石段道の一方からは、絶えず温泉くさい湯気が濛々と立ち登って、如何にも温泉場らしい特異の感じがする』(萩原朔太郎『石段上りの街』より)。

日本広といえど、「なーんだ狭いじゃないか!」という場所もあるわけで、今回はそんなお話。川を渡ると隣の県へという場所は全国に数ありますが、連続する3駅で県が異なるという場所は、実は非常に数少ないのです。そんな場所が広ーい関東平野と九州の加久藤カルデラにあるので地図上でチェックしてみましょう。

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