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201203270101.jpg福田[副田・福多・福堂・福当・複太・服田・冨久田・富久田]
福田さんといえば群馬、そのルーツは武蔵七党の児玉党だ

「福田さんって、名前に“福”がついていてお目出度い名前ね」と、居酒屋の女将が言った。「福田という苗字は、元は開墾の難しい“深田”をよい田圃にしたいという願いから“福”という文字を使った呼び方でね──」と私は、なかなか噛めない裂きイカを無理に齧り、熱燗をぐいと飲む。女将はそんな私を横目で見ながら、「お目出度い名前だからか福田さんという総理大臣が二人も出たのかもね」と言う。「そうそう、福田といえば以前“幸福田”という苗字の人がいたな──」と私はなおも裂きイカを齧る。
ホント?! という顔をしながら女将は、私の手元から裂きイカを取り上げると、入れ歯でも噛めるようにそれを小さく千切り、再び渡してくれた。そんなやり取りをしながらも私は、「総理大臣の福田親子は群馬出身でね、関東には平将門を倒した藤原秀郷の流れを継ぐ福田氏が多いんだよ──」と話し続けるのであった。

2011murakami1.jpg村上[村神・村雄・邑上・邨上]
村上さんのルーツは水軍と呼ばれる海の男達だ

あの武田信玄を二度も破った男の名を村上義清(よしきよ)という──。
信濃国更級(さらしな)郡村上郷を発祥とする村上氏は、八幡太郎義家の祖父である源頼信の清和源氏頼信流。嘉保元年(1094)源仲宗の四男盛清が村上郷に配され、その子為国の時に初めて村上氏を名乗ったという。

201001230801.jpg阿部[阿倍・安部・安倍・阿辺・安辺・阿拝・阿閇・阿陪・阿辺・敢]
古代大和飛鳥地方で栄えた阿部一族が阿部さんのルーツである

 森鷗外の小説ではないが、阿部、阿倍、安部、安倍などの阿部一族は、孝元天皇の皇子大彦命(おおひこのみこと)の子孫と伝えられる豪族である。阿部姓の発祥は、安倍文殊院で知られる大和国十市(といち)郡阿倍が有力だが、大和国葛下(かつらぎしも)郡阿倍や、穴石神社のある伊賀国阿拝郡、攝津国東成(ひがしなり)郡阿倍野など様々な説がある。また、“アベ”の語源は饗(あへ)で、神をもてなす「饗へ」からきているという。
 では、阿部氏のルーツを訪ねる旅に出掛けよう。最初に訪れるのは古代阿倍氏の一大本拠地であった、大和国十市郡阿倍(桜井市阿部)であろうか。

■納め不動
毎月28日はお不動様(不動明王=不動尊)の縁日だが、一年最後の縁日である12月28日を『納め不動』(おさめのふどう)で、全国各地のお不動様で、護摩が焚かれたり、火渡りの荒行が執り行なわれます。不動明王は大日如来の化身。空海(弘法大師)が唐から密教を日本に伝えた際に日本に不動明王の図像が持ち込まれました。密教では五大明王の中心となる明王とされ、一切の悪魔や煩悩を降伏させんがために、憤怒(ふんど)の姿をしています。
成田山新勝寺で『納め札お焚きあげ柴灯大護摩供』
江東区の深川不動堂で『納め不動』
瀧谷不動尊で『納め不動』
岡垣町の成田山不動寺で『納め不動』
目黒不動尊(瀧泉寺)で『納め不動』
加須市の不動ヶ岡不動尊總願寺で『納め不動』
伊勢原市の大山寺で『納め不動』
尾道市の浄土寺で『納め不動』

■年末三崎まぐろ祭ビッグセール
三浦市の三崎漁港はマグロの水揚げで有名。年末恒例の三セールでは、三崎崎物マグロをもちろん、いか・たこ・海老・かに・ほたて・貝柱・ししゃも・数の子・いくら・さざえなどの新鮮な魚介類や地元農家の野菜、果物、生花など、正月に使う食材が卸売価格で販売されます。期間は28日〜30日。
三浦市の三崎新港で『年末三崎まぐろ祭ビッグセール』

■官公庁御用納め
明治6年に太政官は12月28日を御用納とする規定を発令。御用とは宮中や政府の仕事を差しましたが、その後、この風習は民間にも転用され、今では民間企業も「御用納め」という言葉を使うようになっています。ちなみに御用始めは、1月4日です。

200912190101.jpg木村[木邨・木邑・嘉村・季村・樹村・貴村・城村・帰村・基村・岐村・岐邨・奇村・鬼村・喜務良]
木村さんのルーツは紀氏か藤原秀郷か?

 夕方近く、偶然いつもの居酒屋の前を通りかかると、もう店が開いていたので、ひょいと覗いてみた。カウンターの向こうで女将がなにやら熱心に見ている様子。女将の視線を追えば、テレビで大相撲の最中であった。私は挨拶もそこそこにカウンターへ座って大相撲観戦に加わり、当然のようにビールを注文した。
 一面に牡丹、もう一面に唐獅子の彫金が施された白檀製の軍配が上がって取り組みが始まった。私はビールのグラス越しに上目遣いで取り組みを見ていた。女将はそんな私に、「ねえ、あの一番偉い行司の人、木村庄之助って言うんでしょ?」と声を掛ける。立行司は代々木村庄之助と言って、いまは三十何代目かのはずだよと、私は答えるのであった。「そうすると木村庄之助さんのルーツの木村庄之助は誰なの? でも変ねえ、庄之助という名前は襲名するわけでしょ、その場合でもルーツは初代の庄之助なのかしら?」
 ここの女将はいつも理屈っぽい。さてなんと答えようかと考えた。とにかく、行司の木村家の創設は寛永(1624年-〜1644年)年間の松代藩真田信之の家臣である中立清重だと言われているのだが、一般的な木村姓のルーツは遥か昔に遡れそうである。

200911231001.jpg井上[井ノ上・井之上・井野上・伊野上・井植・猪上・位上・居上]
井上さんの一番有名なルーツは長野県須坂である

「ねえ、あたしの苗字、知ってる?」と、ある晩、行きつけの居酒屋の女将が私に訊いた。三日にあげずやってくる客に、何をいまさら言っているのであろうか。第一、この店の屋号は女将の苗字と同じで“井上”というのだから、店の客ならば知らないはずもない。
「それがねえ」と、女将はビールのお酌をしながら話を続けた。「昨夜のお客さんが、どうして井上という苗字は“いのうえ”と“の”を付けて呼ぶんだろうね。井川も井原も井村も“の”が付かないのに奇妙だね、と言うのよ。あたしそんなこと考えてもみなかったけれど、そう言われればそうよね」
 私はビールを飲みながら、かつては井戸というものは重要な生活拠点でね、これを管理するものが「井氏」と呼ばれていたらしい。さらに、井戸の上手の場所の井上と井戸の下手の井下という地名から、それぞれの苗字が生まれたたんだよと、そのようなことを女将に説明した。すると女将は「井下なんて人には会ったことがないわ、それになぜ井上に“の”が付くのかという説明になってないわ」と追求するのであった。私は面倒くさくなり、井上から“の”を取ってしまうと、「いうえ」になるだろ、「あいうえお」と同じようになってしまうため“の”を入れたのさ、といい加減な答えをするのだった。女将は、これだから酔っ払いは嫌いなのよといった顔付きでまたビールを注ぐのであった。

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