■三十三間堂『通し矢』(大的大会)
江戸時代に一大ブームとなった『通し矢』にちなむ大会。全国から2000人が参加する京都の1月の風物詩ですが、スタイルは江戸時代の『通し矢』とは異なります。『通し矢』には様々な種目がありましたがその代表が一昼夜に南端から北端に射通した矢の数を競う「大矢数」です。
京でブームとなった『通し矢』、江戸っ子が見過ごすはずもなく、実は1642(寛永19)年、浅草に弓師備後が江戸三十三間堂を建立しています。1701(元禄14)年、富岡八幡宮の東側に移転していますが、京同様の『通し矢』が行なわれました。明治5年に廃寺となり、現在、その場所(東京都江東区富岡2-4地先 )には「三十三間堂跡モニュメント」が建っています。
→京都市の三十三間堂で『通し矢』
ここに江戸三十三間堂が建っていた!
■熱海の海岸「今月今夜」/尾崎紅葉祭
「吁(あゝ)、宮さん恁(かう)して二人が一處(いツしょ)に居るのも今夜限(ぎり)だ。お前が僕の介抱(かいはう)をしてくれるのも今夜限、僕がお前に物を言ふのも今夜限りだよ。一月の一七日、宮さん、善(よ)く覺えてお置き。來年の今月今夜は、貫一は何處(どこ)で此月(このつき)を見るのだか!再來年(さらいねん)の今月今夜……十年後(じふねんのち)の今月今夜……一生を通(とほ)して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!可(い)いか、宮さん、一月の一七日だ。來年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇ったらば、宮さん、貫一は何處かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いて居ると思ってくれ。」(尾崎紅葉『金色夜叉』)
金色夜叉といえば思い出すのが「熱海海岸の場」。間貫一が「僕の涙で必ず月は曇らして見せる」といったのが、1月17日です。熱海海岸の国道135号脇にはお宮緑地が整備され、貫一お宮の像も立っています。宮を足蹴にして立ち去るシーンをそのまま像にしており、後世、女性蔑視との批判も生じました。下駄を履いた貫一が宮を蹴っているシーンですが、これは当時上演された舞台のワンシーン。原作の挿絵では貫一は靴を履いています。『金色夜叉』など知らない現代では、バスやマイカーの車窓からこの像を見て「お母さん、お兄ちゃんが女の人を蹴っ飛ばしているよ!」と驚く子供も多いとか。
→お宮の松
→熱海市のお宮の松で『第68回尾崎紅葉祭』