藤田[富士田・藤多・藤太・葛田]
藤田氏のルーツは天下に名だたる武蔵七党の坂東武者だ
武蔵は戦乱の世であった。その戦乱の世を、初代の藤田政行に始まり、15代目の康邦まで約400年を、この武蔵国榛沢郡藤田郷(埼玉県大里郡寄居町)を中心に、藤田氏一族は生きぬくのであった。
藤田氏は、小野篁(たかむら)の裔である武蔵七党猪俣党の出で、政行が藤田郷に拠って藤田五郎と名乗り、その居城を花園城と命名したという。政行の子行康は、元暦元年(1184)の一の谷合戦で討死、孫の能兼は承久3年(1221)の承久の乱で活躍する。その後、藤田氏の後裔は、室町時代に足利氏に仕え、さらに山内上杉氏旗下の重臣として、戦国期に至るまでその領地を保つことができたのである。


