1369(応安2)年、大内弘世が京都から勧請した祇園社。現在の社殿は、1519(永正16)年に、大内義興が大神宮を高峯山麓に建立した際、社殿を新築したもので、もとは大内氏の迎賓館「築山館」があった場所。江戸時代末期、毛利氏が本殿を現在地に移転した。本殿は二間社流造り、屋根は桧皮葺きで、国の重要文化財。また本社の祭礼である祇園祭は、室町時代から600年も続く歴史ある祭り。例年7月20日には、鷺舞(さぎまい)神事も奉納される。
市街の北部・八坂神社の近く、上宇野令(うのれい)にある。創建年は不明だが、大内氏が山口入りする以前の鎌倉時代にはすでにこの地にあったとされる古社。現在の社殿は、大内氏時代の室町後期の建立のもの。本殿、拝殿、楼門が一直線に連結する山口地方独特の建築様式で、これはその最古。明などとの貿易で潤った大内氏の財力が見てとれる。また大内氏最後の正統、31代義隆が寄進した銅製の巨大な鰐口も収蔵。いずれも国の重要文化財。
859(貞観元)年創建と伝えられる古社。行基が宇佐八幡宮から京都の石清水八幡宮に分霊する際に、この地に立ち寄り仮の社を造ったのが始まりといわれる。室町時代に唐戸から出航した遣明船も出港の前には亀山八幡宮に航海の安全を祈願したという。16世紀には朝鮮国に寄付を仰いだという歴史も持つ。今も、関の氏神として市民に親しまれている。また、亀山八幡宮の鳥居のそばには、かつて、山陽道の起終点であったことを示す石碑あり、ここから関門海峡を船で渡り、九州の西海道へと通じていた。
忌宮(いみのみや)神社は、長門国の二の宮。仲哀(ちゅうあい)天皇・神功(じんぐう)皇后が西国平定の折、豊浦宮を建て、7年間滞在したといわれる古社。また、渡来人が仲哀天皇に蚕種(さんしゅ)を献上したという伝説から、境内には蚕種渡来の地の碑が立てられている。蚕種とは蚕のこと。また、県の民俗無形文化財にも指定される、奇祭「数方庭祭(すうほうていさい)」も例年8月7日から1週間行なわれる。
仙崎漁港に面して建つ、八坂神社。かつては祇園社と呼ばれていた。みすゞ通りにも小さな鳥居があり、ここに金子みすゞの童謡詩「祇園社」の碑が立つ。創建は奈良時代で、遣唐使だった吉備真備(きびのまきび)が帰朝の際、王子山に素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀り、祇園社としたのが起源と伝えられているが、のちに現在地に移転。江戸時代から明治にかけて、当地で盛んに行なわれた捕鯨の様子を描いた『捕鯨図』も所蔵する。
明治23年、松陰鎮魂のために、松下村塾横に土蔵の祠を建て遺愛の硯などを祀ったのが松陰神社の始まり。明治40年、松下村塾の門下生・伊藤博文らの申請により、毛利家守護神宮崎八幡の拝殿を移築し、本殿としたという。本殿に隣接する摂社松門神社には松下村塾の門下生が祀られている。敷地には、松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅、松陰遺墨展示館、吉田松陰歴史館などが点在している。
指月公園中央にある、志都岐山神社(しづきやまじんじゃ)。かつての県社で、毛利元就(もとなり)、隆元、輝元、敬親(たかちか)、元徳(もとのり)を5柱として、初代から12代まで萩藩歴代藩主を祀る。社務所は永代家老福原家の書院を移築したもの。参道にはミドリヨシノと呼ばれる天然記念物の桜も見られ、児玉花外の詩碑も立つ。
防府(ほうふ)市松崎にある菅原道真を祀る神社。社伝によれば、宮中を失脚した道真は、九州・太宰府に左遷される途中防府に立ち寄り、死後、魂となって帰ってくると約束。道真が亡くなった翌年、904(延喜4)年に、日本でもっとも古い天満宮として創建されたとか。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに日本三天神に数えられている。現在の社殿は昭和の再建だが、重要文化財の松崎天神縁起絵巻、金銅宝塔などを収めた歴史館も見学可能。また市街地が一望できる高台にあり、梅や桜の名所としても知られるほか、年間を通じて行事も多く、11月に行なわれる御神幸祭(裸坊祭)は、荒祭として多くの人を集める。
下関市一の宮にある古社。三韓平定後に凱旋、当地に祠を建てたのが始まりと伝わる神功皇后ゆかりの神社。以来、軍事・海上交通の神として、また長門の一宮として武将らに保護された。本殿は1370(応安3)年、大内弘世が建立したもので、室町初期建築を代表する九間社流造(きゅうけんしゃながれづくり)。檜皮葺きの正面屋根に千鳥破風を乗せ、春日造と流造を組み合わせたもので、国宝に指定されている。また1539(天文8)年に毛利元就が寄進した拝殿は、国の重要文化財。12月の河渡祭(かわたりさい)と御齋祭(おいみさい)、旧正月の和布刈祭(めかりさい)、5月の御田植祭など古式ゆかしい行事が多い。
関門海峡を見下ろす高台に建つ赤間神社。1185(文治元)年、壇之浦の戦で敗れて入水した安徳天皇を祀る。もとは阿弥陀寺という寺で、安徳天皇の御陵に御影堂が建立されたため、安徳天皇御影堂とも呼ばれたが、明治期に赤間宮となった。境内には朱塗りの水天門、安徳天皇阿弥陀寺御陵、平家一門を祀る七盛塚、小泉八雲の『怪談』で知られる「耳なし芳一」の木像などがある。、また宝物館には『長門本平家物語』『源平合戦図』など貴重な史料が収められている。毎年5月2〜4日、安徳天皇をしのぶ「先帝祭」が行なわれ、とくに3日の太夫、女官、稚児らによる上臈参拝(じょうろうさんぱい)が豪華絢爛。

