1582(天正10)年、武田勝頼一族が破れ武田氏終焉の地となった、田野集落にある。寺は織田信長と連合して勝頼を破った徳川家康が、勝頼一族の冥福を祈るため、1588(天正16)年に建立したもの。完成までに29年の歳月を要し、完成時は七堂伽藍(がらん)の立派なものだったが二度の大火で山門を除いて焼失。勝頼一族の菩提寺で甲将殿の裏手には、勝頼と勝頼の婦人(北条婦人)、勝頼の息子(信勝)を祀った五輪塔がある。勝頼辞世の句は「おぼろなる月もほのかに雲かすみ はれてゆくえの西の山の端」。このとき勝頼は37歳、北条婦人はまだ19歳、信勝も16歳の青年だった。

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- 『風林火山』関連の寺で、武田氏終焉の地
- 徳川家康が、勝頼一族の冥福を祈るため建立
- 本当の墓石は首無地蔵
特ダネ情報!
天正10年3月10日、43名の手勢を連れて岩殿城(現在の大月市の背後にある岩殿山。難攻不落の要害だった)に向かう勝頼一行。勝沼の大善寺で一夜を過ごし、笹子峠の麓、駒飼に差しかかったとき、土屋昌恒が岩殿城から戻り、岩殿城主・小山田信茂が織田方に寝返ったことを知る。勝頼一行は、初鹿野から日川渓谷を遡り、田野の里に到着する。そして退路がないことを悟り、自害となる。境内にある首無地蔵は、田野の村人が勝頼、北条婦人、信勝を葬った場所と伝えられ、五輪塔の方は、後世造られた供養塔という。また近くを流れる日川の姫ヶ淵は、侍女16人が身を投げた場所という。

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